『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2002・デンマーク)監督 :ラース・フォン・トリアー

syoka2005-01-01



冒頭,暗闇の中,約3分30秒の音楽のみ。視力を失いつつある,主人公セルマの持つ暗闇を表しているのだろうか。


ミュージカルの始まりのような,オケの音楽が徐々に高まって,観客が途方に暮れだした頃,タイトルが映し出される。前衛的というか,実験的というか。


ドグマ95」と呼ばれる独特の撮影手法。それは手持ちカメラによる撮影で,人物を追って,めまぐるしくアングルが変わる。引いたり寄ったり。そのたびにピントが合ったりボケたり。ゆらゆらと客を挑発するように揺れ動く画面。体調万全でなければ,正直,かなりきつい。全編を通じて,ドキュメント映画みたいなトーン。そこに,唐突に始まる主人公セルマの空想のミュージカルシーン。


アイスランドの歌姫・ビョークはやはり素晴らしい。


工場で作業中に工員たちと歌い踊るセルマ,機械のプレスのリズムが音楽になる。のどかな風景を走る貨物列車の上で,セルマを囲んで踊る男たち。田園風景。ダンスをしながら洗濯物を干す,仲むつまじい若い夫婦。今,殺してしまったばかりの隣人が生き返り,優しくセルマを抱いて踊る。殺人犯として出廷している法廷。唐突に始まるダンス。あの,憧れのミュージカル俳優と一緒に踊る,幸福に満ちたセルマ。


すべては彼女の願望。空想の中では皆が彼女を愛し,救済を与える。彼女は極上の笑顔で盲目のはずの目も,はっきりと見える。


貧しく無知な失明寸前のセルマは,小さな息子の治療のために,こつこつと働いて貯めた金を盗んだ隣人を,思いあまって殺してしまった。しかし,人あたりの良い隣人の社会的信頼は厚く,無力なセルマは,あっという間に凶悪殺人犯のレッテルを貼られてしまう。彼女を救ってくれる人間は誰もいない。現実は情け容赦がなく,ひとかけらの救いもない。だからこそ夢のような楽しいミュージカルシーンが,泣ける。


ラスト。裁きの日はやってきた。足がすくんで動かないセルマを励ますように,女性看守が足を踏みならしリズムを取る。その足音が彼女の空想を助け,彼女は空想の中で歌い踊りながら,107階段を進んでゆく。


しかし,首に縄をかけられた彼女の恐怖は頂点に達する。泣きわめき,猛り狂う。そして,刑場の外にいる息子に向かって,全身を振り絞るように唄う。圧巻。その歌が最高潮に達したとき,執行のボタンが押される。


物語は,終わる。


泣くなというほうが,無理だ。こんな,救いのない,無知で,哀れな話があってイイものか。体調がよくなかったせいか,セルマの臨終の恐怖が非常にリアルだったせいか,はたまた,揺れ続けた「ドグマ95」のせいか(あるいは3つ全部?),ワタシはぐったりとしながら家路に着いた。


世の中にはいろんな表現がある。多分この救われない物語の中で監督は,唯一,彼女のピュアな精神だけを描きたかったのだろう。しかし,もしワタシが何かを「表現」するとしたら,観た人が「明日からもがんばろう」と思えるようなモノを作りたい。それだけは絶対,だ。


にもかかわらず,歌姫ビョークの圧倒的な存在感と,魅力的な共演者たちの演技によって,いつまでも心に残る作品となった。セルマの同僚役を演じる往年の大女優・カトリーヌ・ドヌーヴの演技は,さすがの貫禄で印象的。ちなみにこの作品は,2000年カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞,女優賞を受賞している。