『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』2004/6/20 大阪追加公演(梅田ドラマシティ)

syoka2005-04-21



三上博史主演のロック・ミュージカル。東京のパルコ劇場から始まったツアーだが,各地での前売りチケットはすべて完売。急遽,追加公演が決定した。会場は超満員で通路にも補助席が出ており,熱気に溢れている。ネットオークションで28,000円(定価は8,500円)で手に入れた今日の座席は,10列目のど真ん中。舞台にセッティングされたスタンドマイクが,真ん前にある。あそこでミカミ(三上博史)が歌うのか,と思っただけで,たまらない嬉しさがこみあげる。


左脇は,若い女性の2人連れ。右には,若い女性が1人。おそらく,この人も,3万円近く出して,オークションでこの席を手に入れたはず。座席はバラ売りされていたが,確か,2枚連番になっていた。貴女も,どうしてもミカミのヘドウィグが観たかったんだね。


舞台後方には,ドラムやキーボードなどがセッティングされている。舞台前方,上手側には,ソファ。ガスレンジなど。ヘドウィグが育った,旧・東ベルリンの家を表現している。下手側には,派手なカバーのソファに,赤いドレスを着せたトルソー。カラフルなメイクボックスなど。ヘドウィグの現在の部屋(あるいは,アメリカに渡ったあと暮らした,トレーラーハウス?)を現しているようだ。


5時半。バンドのメンバーが三々五々,舞台に現れ,灯りが落ちる。開演。


ヘドウィグのパートナー,イツハク(髭面のゲイ,しかしなぜか女優が演じる)役のエミ・エレオノーラが,暗闇の中,マイクスタンドに立つ。ハスキーな男声。「レディス・アンド・ジェントルマン。お前たちが気に入っても,気に入らなくても。。。ヘドウィグ!」


舞台からは,重厚な音楽が流れ,上手側の客席中央扉から,ミカミ扮するヘドウィグが登場。ダークな色合いの,アシンメトリーに膨らんだミニスカートの衣装。上半身は,素肌を連想させるナチュラルな色合いの,フィットした薄手のブラウス。黒い大きなオブジェのようなもの(男根を象徴したものだとか)が,肩についている。足にぴたりとフィットした,黒いロングブーツ。ブーツというより,黒い布がデコラティブに太股まで巻きついている,と言った感。片足は,布が膝下までしかなく,筋肉質の太股が露わになっている。10センチほどのピンヒールを履いたふくらはぎは,筋肉が盛り上がり,余分な脂肪など,ひとかけらもない。「アスリートのような身体」と誰かが表現していたが,身体そのものが,役者としての,彼のストイックさを表していると思う。


銀色の派手な長髪のウィッグ。登場の時は,バリ風の仮面のようなイラストのついた,布を被って顔を隠している。客席に登場した瞬間から,大きな拍手と大歓声。今夜は,リピーターが多いようだ。衣装に触ろうとする女性客。それを振り切るように,ヘドウィグは,身体を勢いよく半回転させ,客席後方に向かって,布を掲げてポーズを取り,威嚇してみせる。「ヘドウィグ!!」の掛け声。客席は湧く。みな,ミカミ・ヘドウィグの再来を待ち構えていたようだ。


いつもは客席内の通路を通って,舞台に上がるコトになっているが,通路だったところにも,補助椅子が並べられ,ギチギチに客が座っている。さて,どこを通るのかと思ったら,強引に臨時席の客の膝の前をぐいぐいと通って,舞台に上がった。


舞台中央は,ヘドウィグのステージ。床は木ではなく,金属でできているようだ。彼がマイクスタンドをひきずると,耳障りな金属音がする。無言で,マイクスタンドを乱暴に立て,顔を隠した布を勢いよく剥ぎとる。眉の上まで塗り込められた,グリーンのラメのアイシャドウ,唇は,紫色にテラテラと光っている。客席に向かって,挑発的にニヤリ,と笑う。いちだんと大きな歓声。派手でまがまがしい,強烈な魅力を持った,ドラァグクィーン・ヘドウィグがそこにいた。


MCもなく,いきなり,1曲目。激しい曲調の『TEAR ME DOWN』。「うち壊せ」というタイトル。


席についた時から,「やっぱり立つと,後ろの人が見えないし,迷惑かなぁ」と,イジイジ考えていたが,曲が始まった瞬間,身体が自然に飛びあがり,スタンディングしてしまった。最前列の客は,ほとんど立ち上がっているが,10列目ともなると,立ち上がる人はほとんどいない。それでも,座ってなどいられない。一瞬遅れて,両脇の女性が,立ち上がった。次第に,ワタシの前あたりの人達も,周りの様子をうかがいながら,立ちはじめ,1曲目が終わる頃には,会場は総立ち状態。思い切り飛び跳ね,両手を頭上に上げて,踊る。座席に座った時,動悸が激しく,息切れがした。


この芝居は,ヘドウィグ&アングリーインチ(バンド名)のライブのステージ中,ヘドウィグが彼(彼女)のライブを見に来た観客に,歌の合間のMCで,今までの人生を語る,というスタイルになっている。歌う曲は,グラムロックを十数曲。ミカミは,もう,ヘドウィグという「性転換手術に失敗したゲイのロック歌手」になりきっており,どこまでが台詞でどこからがアドリブなのか,ほとんどわからない。あるいは,ヘドウィグというキャラを通してのアドリブか。客席の小さな反応も逃さず,アドリブですかさず応酬する。派手で底意地の悪い,それでいて健気で憎めない,ヘドウィグ。冒頭から,観客は,そのケバケバしくて滅茶苦茶なキャラクターに,呆気にとられ,釘付けになる。


ヘドウィグの物語。


旧東ベルリンに住む少年・ハンセル(ヘドウィグ)は,幼少の頃,実の父親に犯される。父親は出ていき母親と二人で暮らすハンセルは,ロックが大好きで,狭い家の中で,ガスレンジの中にラジオを持ち込んで,夜な夜な古いロック音楽を聞いている。そんなある日,母親がハンセルに語って聞かせた「愛の起源」の話。その昔,人間は,2人の人間が背中合わせにくっついた存在だったが,人間の力を恐れた神によって,背中を引き裂かれた。そして人間は,永久に自分の片割れを失い,不完全なまま,生きるコトになる。いつか,その別れ別れになった,自分の片割れに再び出会うコトを夢みながら。


『オリジン・オブ・ラブ』(愛の起源)。母親が語ったでたらめな,哀しい神話を,ヘドウィグが物語を演じるように,歌い,語る。役者でありながら音楽活動を地道に行ない,アルバムも何枚か出しているミカミの歌には,底力がある。壮大で崇高な切ない愛の話を,とことん聞かせる。客席はシンと静まりかえる。


青年になったハンセルは,ベルリンの壁を超えて,大好きなロックの国,アメリカを夢見る。ある日,壁の近くで裸で日光浴をしていたハンセルは,アメリカのルーサー軍曹と出会う。美貌の青年ハンセルに一目惚れをしたルーサーは,「甘いお菓子をやろう」と,ハンセルを手なづける。


そのルーサーとの出会いを歌った歌。ポップで可愛い,しかし,歌詞の内容はとことんイヤらしい,『シュガー・ダディ』。この歌の合間に,ヘドウィグは客席に降りてきて,目をつけておいた男性客にからむ。ワタシの3列ぐらい後ろの座席に,2人連れの若い男性がいた。ミカミ・ヘドウィグは,嬉しそうにそのうちの1人の上にまたがって,彼が名づけたところの「マーキング」。嬉しそうにニヤッと笑う,ミカミの顔が間近で見られて,得した気分。それだけでは気が済まず,さらに後ろの通路側に座っていた,カップルの片割れの,大人しそうな男性の上に乗り,抱きつくだけではなく,ついに唇にキス。


客席は大騒ぎ。当の男性は,真面目そうな人で,少し顔を赤らめ,本当に困惑した顔をしていた。少し気の毒。


リピーターが多かったのか,ヘドウィグが通路に下りてきても,マナーの悪い客は少なかった。会場によっては,衣装を引っ張る人などが多くて,通路に降りてくるのを止めた回もあったそう。ヘドウィグはとてもいい香りの香水をつけているらしいが,香りまではワタシの席には届かなかった。


ルーサーと結婚して,アメリカへゆくために,性転換手術を受けさせられるハンセル。しかし,その手術は大失敗。股間にペニスが1インチだけ残ってしまった。『アングリイー・インチ(怒りの1インチ)』は,この手術の失敗を怒りをこめて歌った曲。激しい歌だ。「6インチあったものが,5インチ減って,1インチ残っちまった!」と,絶叫するように歌う。


アメリカに渡ったあと,この1インチが原因か,まもなくルーサーは去り,異国でヘドウィグは,1人になってしまう。貧しいトレーラーハウスの中で,自分の顔を鏡で見ては嘆き,結婚祝いに母親から送られたウィッグ(かつら)を被って,生まれ変わろう,と,自分を奮い立たせるように歌う,『ウィッグ・イン・ザ・ボックス』。とてもキュートで可愛い曲だ。この歌の最中に,舞台のヘドウィグは,ウィッグを取り替える。ウィッグを変える間,観客は,字幕に映った歌詞を繰り返し歌わされる。最初は,恥ずかしくて声が出せなかったが,2回目の今日は大丈夫。ちゃんと歌える。


なんとか元気を取り戻したヘドウィグは,メンバーをかき集めて,バンドを作り,歌い始める。しかし,人気は出ず,風俗系のアルバイトをして,生活費を稼ぐ毎日。そんなある日,ベビーシッターに出かけた家で,17歳のトミーと出会う。歳の離れたトミーは,ヘドウィグを慕い,ヘドウィグは彼に,ロックのすべてを教える。2人でなら,素敵な曲がいくらでも作れた。2人のデュオは人気が出て,ヘドウィグは,トミーと音楽に専念できるようになる。「トミーこそ自分の無くした片割れだ」と信じるヘドウィグにとって,一番幸せな時。


ここで,自分が生まれて初めて作った,という『汚れた街』をヘドウィグは歌う。優しくスローなバラードだ。


しかし,ある日ヘドウィグの股間の1インチを知った若いトミーは,恐れをなして,ヘドウィグの元を逃げ出してしまう。そして,やがてトミーは,ヘドウィグの作った歌『汚れた街』と,2人で作った全ての楽曲を盗んで,アイドルのロック・スターになってしまった。


舞台に立っているヘドウィグは,実は今や全米一のロックスター,トミー・ノーシスをストーカーのように追い続け,彼のコンサート・スタジアムの近くにあるレストランを探し出しては,巡業ツアーを続けている。今はその,冴えない店でのライブのステージ中,というわけだ。観客は,ヘドウィグの歌を聴くためではなく,ただレストランに食事に来ただけの客である。


舞台の最中,何度となく,舞台後方の扉が開けられる。扉の向こうは,店の近くにあるスタジアムで,トミー・ノーシスのコンサートが行われている。目もくらむようなきらびやかなスポットライトの照明,盛大な拍手と歓声が津波のように聞こえる。それを聞いては,面白くなさそうに扉を叩きつけて閉める,ヘドウィグ。


トミーとの甘い思い出から,一転,トミーに捨てられた絶望感と悲しみに再び飲み込まれたヘドウィグは,歌えなくなり,ステージを降りてしまう。途方にくれたバンドメンバーは,ヘドウィグの代わりに歌を歌う。ヘドウィグは,ウィッグを外し,無惨な頭をさらけ出す。そして,涙で化粧のはげた顔で,自分の人生を呪うように歌う。『ヘドウィグの嘆き』から『とびきりの死体』。


「私の身体は醜いコラージュ(つぎはぎ)」と叫ぶように歌うヘドウィグは,次第に常軌を逸していき,過度に装飾された衣装を破り,舞台をのたうち回る。ステージだけが激しく,客席はしんと静まりかえっている。衣装を破り,赤いブラジャーの中からとりだしたのは,真っ赤なトマト。そのトマトを,自分の裸の胸に叩きつける。トマトの果肉が客席まで飛び散る(前列には,あらかじめ,ビニールシートが配られている)。ヘドウィグは,舞台後方の扉を開け,観客の前から逃げるように去ってしまう。


暗闇の中,大きな拍手と歓声が客席を飲み込まんばかりに膨れあがっていく。舞台に灯りが入ると,そこは,トミー・ノーシスのコンサート会場。扉を開けて現れたのは,黒いパンツ1枚の半裸で,黒い髪をした,ミカミ。しかしこれは,紛れもなくトミーだ。「彼女に聞いてもらいたい,思い出の歌です」と彼が歌うのは,いつかヘドウィグが彼に歌って聞かせた,思い出の『汚れた街』。額には,その昔,ヘドウィグが銀色のラメをつけた指で書いてやった,十字架。


再び灯りが着くと,そこはもとの,レストランのライブステージ。しかし,中央に立っているのは,トミーの姿をした,しかしこれは,ヘドウィグだ。素肌の上にガウンを羽織ったヘドウィグは,『ミッドナイト・レディオ(真夜中のラジオ)』を歌い始める。強いメッセージを秘めた曲だ。


このラストシーンの自由な解釈は,観客に委ねられる。ウィッグや衣装,すべての装飾を剥ぎ取って,生まれたままの姿になったヘドウィグは,憎みながらも求め続けた,トミーでもあった。失われた「片割れ」は,すでに自分の中に存在した。そして,誰かと2人で「完全」になるのではなく,人間は,淋しい存在であるが,それでも1人で,もともとが「完全」な存在なのだ,とワタシは感じた。そして,ヘドウィグは,最後にそれを知ったのだ。


「信じて欲しい きみは完全だと」「それぞれの 歌がある 落ちこぼれも 負け犬も」「大丈夫だから 手を取り合って そばにいるから」


何かのインタビューで,「ヘドウィグの姿を借りて,お客さんを励ましたい」と,ミカミは言っていた。最後に力いっぱい歌う『ミッドナイト・レディオ』は,本当に,役者三上博史が魂を込めた歌。メッセージは届いた。曲の最後の「Lift up your hands」(両手を振り上げろ)の歌詞のリフレインでは,客席中がこぶしを高く振り上げた。


舞台が終わり,客席は総立ち,拍手は鳴りやまず。ミカミは,もうすっかり素の表情に戻り,タバコをくわえたまま,舞台に登場した。深くお辞儀。それでも,観客は帰らない。カーテンコールは続き,4回目に,ミカミは,バンドメンバーを伴って現れた。全員で,並んでお辞儀。やはりアンコール曲は,無いらしいな,と思った途端,客席から「アンコール!」の合唱。関西人は,絶対に「得」をしないと,帰ろうとはしないのか。


ずいぶん長い間,メンバーとヒソヒソと相談し,1曲目の『TEAR ME DOWN』を歌ってくれた。彼が客席のアンコールに答えて歌ったのは,これが初めてだ,おそらく。歌い終わると,ミカミは会場を見渡して,満足そうな笑顔。白い歯がこぼれる。「素晴らしいお客さん。嬉しいねぇ。ではでは,また」と,つぶやくと,タバコをくわえ,手を上げて去っていった。


『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』☆94年にNYのクラブで原形となる作品が上演後,97年,オフ・ブロードウェイに進出した。翌年からは2年間のロングランとなり,熱狂的リピーター「ヘド・ヘッド」を生み,デヴィッド・ボウイやマドンナなど嗅覚の鋭いセレブ達にも絶大な支持を得た。同名の映画は,舞台同様,[ジョン・キャメロン・ミッチェルが脚本・主演,そして監督も手がけ2001年に発表。さまざまな映画祭で各賞を総なめにした。日本でも2002年に公開されてヒット。三上博史主演の今回の舞台は,この作品の日本での初の舞台化であり,注目を集める。大評判をおさめたこの舞台は,早くも2005年夏,再演が決定した。